受賞のことば

越智 みちこ

「児童文学で一度も受賞作品が出ない。これは児童文学が大人の文学に対して一段低く見られているからにちがいない。誰か応募して一度くらい受賞作品を出すべきだ」
 そう言って、北海道の仲間達が歎くのです。
「これは何とかしなければ」。
 今思うと、自分がいくらそう思ったって、どうにかなるとは限らないと気づかない、自分の迂闊さに笑えてきます。でも、生来の粗忽者、その時はただ「何とかしなければ」の一念だったのです。運良く通ったからいいものの、これがはずれていたら…。今頃冷や汗が出てきます。
 応募資格は、札幌市民であること。
 小樽から五月十八日に引っ越して、〆切りは五月三十一日。引っ越しは半端じゃなく、引き受けたはいいけど、どんどん日が押され、引っ越し荷物に埋まりながらやっと手をつけたのが三日前。〆切り当日の朝五時に書き上がり、職場の休憩時間に出しに行くという離れ業でした。こんなに推敲しないで原稿を手放したのは初めて。流されるように出してしまって後悔がつきまとい、取り消そうと何度も受話器を手にしました。書いている途中も、「もうだめだ、間に合わない」とくじけていろんな人に電話したし。
 あの原稿が生き残って、よくここに至ったものだと何だか不思議な気がします。もしかしたら物事って、案外「何とかしなければ」といったほんの小さな、一人の思いから始まるものかもしれません。
 何はともあれ、児童文学に光をあててもらって、ありがとう。小さな偶然が重なってもらえた賞だけど、何より仲間がみんな喜んでくれた。札幌市民文芸の中で、児童文学がちょっぴり市民権を得たこと、そのきっかけになれたことが、とてもうれしいです。
 ところで、先日行われた「さっぽろ市民文芸」の集いで私は、衝撃の事実を知りました。後藤竜二氏が亡くなる前年の十一月に市民文芸の集いで講演を行い、児童文学が市民権を得ていないことを憂えて責任者の人たちに掛け合い、懇親会の席上でも児童文学の重要性について力説してくれていたのです。
 やはりこの賞は、私一人がとった賞ではありませんでした。いろいろな人たちの思いに押されて、たまたま私が受け取った賞だったのです。生きておられたらどんなに喜んでくださっただろうと思うと、複雑な気持ちでそこに座っていました。

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