十年近く前、とある児童文学賞に応募した際、「この方は、思春期にずいぶん辛い目にあわれたのでしょうか。十代の気持ちを丁寧に描けてはいるが、その視線はあまりに閉塞的で、読んでいてまったく希望が持てない」というようなことを選考委員から言われました。
その数年前、初めて書いた童話が本になり、賞もいただきましたが、自分の中の「書く」ことの位置づけを完全に誤っていたのでしょう。その厳しい選評に、わたしは全人格を否定されたような気持ちになりました。
その後落ち込みは長く続き、まったく書けなくなってしまいました。それは火がついているのかいないのかもわからないロウソクを手にトンネルの中を歩いているような感じで、しかしその期間になぜ思春期なのか、そこになにがあるのかについて自分と向き合い、とことん考えることになりました。
今思えばよくぞおっしゃって下さいましたと、お目にかかる機会があれば、かくかくしかじか、多少長くなることを覚悟していただき、その上でお礼を述べたい気持ちです。
季節風に入会したのは今年に入ってからです。連絡をするとすぐに一冊送って下さいました。気がつけば、何カ月も書かずに過ごしてしまうわたしです。年にふたつ書けたらいい方です。書かないでいるのは楽なことです。しかし季節風からは、書かない楽さより、書く熱気が伝わってきます。悔しい気持ちにさせてくれます。奮いたたせてくれます。書く仲間がそばにいるということは、こんなにも大切なことであったのだと、いま初めて気がついた次第です。
今回、幸運にも角川学芸児童文学賞をいただきましたが、まだまだ胸を張れるような出来栄えとは思っておりません。なのでみなさん、どうぞ厳しくご指導下さい。そして次こそは、これだ!と思えるものを作り出したいです。