今年は妙な年でした。年が明けて間もなく、新型コロナウイルスがひたひたと忍び寄ってくると、あっという間に世界中に広がり、四月には緊急事態宣言が発令されました。学校も長期休校、仕事も可能な限り在宅での勤務へと変わりました。GWもお盆も、例年であれば帰省しないと親不孝のように言われていたところが、今年は「帰ってくるな」「近所の目がある」と帰省することが親不孝になってしまう、というような状態でした。
年の瀬が迫るいまは、第三波の渦中にいます。 雪が降り、桜が咲き、暑くなってセミが鳴き、気づくと風が冷たくなり、虫の音が聞こえ、金木犀の香りにホッとしている間に、日の入りがえらく早くなっていました。
まるで窓の外で、季節だけが流れて行くような、そんな一年でした。
わたし個人も悲喜こもごもありました。そのひとつは十六年共に暮らした愛猫の死です。マスクをして数カ月間、毎日のように病院に通いましたが、緊急事態宣言の渦中、空へ行ってしまいました。いまもこうして書いていると涙がこみ上げてきます。そしてもうひとつは嬉しい出来事、野間児童文芸賞受賞の知らせでした。
担当編集者さんから電話がかかって来たとき、ああ、また「残念でしたが……」と言われるんだろうな、これって言いにくいだろうな、メールでいいですよって言っておけばよかった、などとぐちゃぐちゃ考え、ちょっと苦笑いで電話を受けました。
予想外のことばに、数度聞き直したと思います。
きゃー! うそ! 嬉しい! 信じられない!
野間児童文芸賞はわたしにとって、天の上の憧れの賞だったのです。
お調子者のわたしは浮かれまくり、しばらく脳内お花畑をスキップしていそうなものでしたが、翌日には早々に平常心に戻りました。
そうだ、浮かれている場合ではない、と。
なぜ、わたしが平常心に戻れたのか?
それは翌日に届いた、あさのあつこさんからのメールでした(あさのさんは、野間児童文芸賞の選考委員です)。
私信ですので、こうした場で書いていいものかと迷いましたし、本当はわたしだけで大切にしたい気持ちもあったのですが、季節風でなら、と一部だけ……。(あさのさん、勝手にすみません!)
メールには、おめでとうというお祝いのあと、この作品での受賞は手放しでは喜べない、と。「ここに留まっていては駄目です」と続いていました。
誤解のないように付け加えますが、これはあくまでもメールの中の一行です。
ですが、このひと言にわたしははっとしたのです。
「季節風」は、人を描くということをわたしに気づかせてくれました。あたりまえのことだと笑われるかもしれません。ですが、そのあたりまえのことにわたしはずっと気づかずにいたのです。同人になっていなければ、わたしはたぶん、間違いなく、一冊の本も出すことはできなかったと思います。
『朔と新』を書くきっかけは、新聞に載っていた一枚の写真です。紐のようなものを握った二人の手のアップ写真を見たとき、いつかこの二人の物語を書きたいと思いました。そして数年後、ブラインドマラソンの走者と伴走者という立場の二人を書こうと向き合ったとき、朔と新という二人の兄弟が生まれました。
兄弟だからこそ不用意に近づけない距離感、彼らの内にある強さと弱さ、優しさと脆さ、醜さや恐れといった、人としての朔と新。
少しでも書けているでしょうか?
いえ、まだまだぜんぜんですね。
でも、だからこそ、次こそは少しでもつかみたい。
ここからわたしがなにを書くか、それこそが書き手として問われるところだと、いま改めて背筋が伸びる思いでいます。